偶然だったのか、必然だったのか。今となっては、分からないが、それは、1978年(昭和53年)の夏、東ベルリンで起きた。
1日だけの入域ビザを買って、西ベルリンから検問所を通過して東ベルリンに足を踏み入れた。当時、ドイツという国は東西に分断され、西ドイツは自由主義経済、東ドイツは社会主義経済だった。西ドイツはアメリカ、イギリス、フランスなど、俗にいう西側諸国に属していた。東ドイツはソビエト連邦(現在のロシア)を頂点とする、いわゆる東側に属していた。同じ民族でありながら、アメリカ、ソ連という超大国の事情で分断されていた。
東ベルリンに入ってから、ずっと、背後に人の気配を感じていた。尾行されているのは分かったが、気にせず、東ベルリンの市内を歩き回った。
「止まりなさい、止まりなさい!」
若い女性の声が響いた。
私の脇を、3歳くらいの男の子が駆けて行った。そして、自動車のショー・ウィンドウにへばりついた。
「しょうがないよ、男の子は自動車が好きだから・・・」
しわがれた女性の声が、若い女性の動きを封じた。
祖母、母、男の子、いずれも、漆黒に近いグリム童話に登場するかのような服装だった。
これと同じ光景を、少し前に西ドイツのミュンヘンで見た。
ミュンヘンと言えば、あの世界の名車BMWの本社がある。そのBMW本社のショー・ウィンドウ前で同じ場面を見た。ただし、明るく広く、高い天井のショー・ウィンドウの中には、スーパー・カーと呼ばれるレーシングカーが鮮やかなボディを誇示していた。分厚いガラスに顔をくっつける男の子は、目にも眩しい原色に近いシャツに半ズボン、スニーカー。母親も祖母も、カラフルなワンピース姿に、おしゃれな日傘をさしていた。
東西の経済格差は、かくも大きい。聞くと見るとでは大違い。実際に、行ってみなければ分からない。日本で文献を読んで知ったつもりになっていた若き日、頭を殴られたかのような瞬間だった。
この、今から40年以上も前に体験したことが、現在の私の在り方を決定づけた。それは、まるで、目に見えない誰かがレールを敷いているかのように。実業界での社会経験も、振り返れば、必須のパーツだった。
このホーム・ページでは、そんな体験を経た私の現在を見て頂きたいと思っています。
浦辺 登